「アリーナ」より

 
 その操作室に入るとあかく燃える火の向こうに心臓がひとつ。
 私はそれを盗み出して一目散にかけていく。
 アリーナ。僕が君を守るよ、哀しかった全部のことを盾にして。


 一目散にかけていく。メインの動力を奪い取ったのにオルガンは歯車によって変わらない速度で「♪」を奏でるし、同じリズムで動く群衆もかわらない。
 逃げられると思った矢先、出口で毒ガスの噴射。曇る視界、すっころんで頭を強く打ってから視界が色とりどりに変わる。緑。ルイと打たれた雷の色。赤。ルイが流した血の色。青。ルイの永遠の色。黄色。ルイとわたしに一番似合った花の色。紫。ルイの魂の色。白。白。白。ルイ、きみのくれた音はいつも真っ白に、僕に渡す為だけに真っ白に調律されてまるで僕自身が色にまみれているような気がしたんだ。わけもわからないまま走った。胸に抱えた心臓はもちろん出血が止まらないままだんだんと音を弱めていく。何億人もの希望がかけられたアリーナ。たった独りの命を人柱にしてこんなにたくさんの人が私欲を肥やすなんて資本主義の限界点、もはや大発明の粋だ。私はゆるされるはずがなかった。アリーナ。君だけは守るよ。そう繰り返しても返事は無い。だんだんと弱まっていく鼓動。ごく原始的な武器が襲う。槍、投石。血が流れているのにそれが何色かわからない。痛いと感じたのはルイ、君の内部のオルゴールの弁に、ふれようとして指を切ったあのときだけだった。そうだ、と思ってポケットのなかを探る。つめたい金属のそれに触れ安堵し、掴もうと力をこめた瞬間するどいそれはポケットの底をも切り裂きカランと音を立てて落ちた。拾おうとしゃがんだ瞬間爆発音が鳴る。瓦礫の下敷きになりもうあの弁にも触れない。あああ、と悲鳴をあげた。足りなくてもう一度あああ、と言おうとした刹那後頭部に鈍い音がし瓦礫がこっちにも落ちてきたのだとわかった。音をかすかに続ける心臓をつよく優しく抱きしめる。声ももうでない。青空も見えない。出会いとわかれ。いろんな人が居たはずなのに思い出せない。ルイ!!!!!!!ルイ、僕は君が。君は僕の生きる世界を全部越えた所にいた。君の生きる世界は眩しく、色鮮やかに僕には見えたけど、君自身には僕がこの世界をこの目で見ているように、灰色で何も無い、誰もいない世界に見えているのだとどこかでわかっていたのに。ルイ。雷に僕らはしゃいだね。青い幽霊が何度もドアを叩いたけど、君は聴こえないふりをする僕の手をそっと音で握った。僕の輪郭船沿いに光の筋が囲っていって、きみは目を細めた。星屑が瞬いて…僕が大げさに泣いたり笑ったりする度に、少しさみしそうにしたね。大げさに泣いたり笑ったりする度に、ぼくらの時間というものの寿命がすこし縮むのをきみは知っていたんだ。ずっと一緒に居たいってほんとうに思っていたんだ。それで、無くひまもなく走ってきたけど僕は、ああ、僕は君が!!ああ、アリーナ、奏でておくれ、僕の悲哀を。神様のお嫁さんにならなきゃいけないんです。と言ったら。がしゃんと音を立てて僕を取り囲むように鉄くずをおとした。その怪我が痛くて血が止まるまでは「神様」の所へは歩いていけないね。って笑ったんだよ。本当にあんなに素晴らしい瞬間がこの世に存在すること自体が、僕は本当に哀しかった!アリーナ、あの傷は傷じゃない。光っている。僕の輪郭線だ。ルイ、君とのこと全部が、僕の輪郭線なんだ。金色を見た。その鋭さと美しさと正しさで、ポケットを破いたきみだからもう本当に飴玉ひとつわたしには無い。ちりちりと焼けこげる音がする。そのまえに多分出血多量のほうでわたしはもう死ぬだろう。心臓も同じくらいに弱っていて、それがたまらなく愛おしく思えた。ルイ。傍にいたかった。ルイ。ずっと一緒だよ。ルイ。君を殺したのは僕だ。ルイ。きみの捻を巻ききっていつかほんとうに死んでしまえと思っていたんだ。ルイ。君はこの世界の宝物だ。ルイ。そんなこと自分でも知ってたんだろう。ルイ。同じ世界に生きられなかった。ルイ。こんなふうでも僕は僕の世界を愛していたんだ。ルイ。一緒に居たい。ルイ。君はほんとうに私のためなんかには生きられないほどに正しく美しい生き物だった。ルイ。あの空洞にわたしは命を見たよ。君が持っていないと言った命を。わたしの心臓を君に。ルイ。あなたと一緒に居たかった。ルイ。あなたが、どうか、ルイ。死後の世界なんてあるのかな?ルイ。終わりはいやだよ。終わらないものだけが愛なんだ。終わらないものだけが愛なんだ。ルイ。最後に近づくにつれやたらと涙もろくなったね。私が微笑むだけで泣き出していた。ルイ。私は本当に私自身のことが憎く、そして最後に大好きだよ。って叫ぶんだ。ルイ。君が笑った。名前をくれた。君の傍に。君の傍に。君の傍にどうか、お願い神様。神様は君だった。「神様のおよめさんに」のほんとうの意味は。そんなのだめだよって怒ったね。ぼくの古い友達も全員まとめて。愛してる。ルイ。愛してる。ルイ。愛してる。愛してる。君がいなければなんの意味も無い。君が居なければ本当に何の意味も無いんだ。ルイ。この世界には何も無いよ。心臓がじきに音を止める。アリーナはそれでもギリギリと音を立てて動いていくだろう。君がいなければこの世界はなんの意味も無いんだ。ルイ。部屋中どこを探しても顔が消えていた私の隣に映っていたのは。君だった。何度生まれなおしても君だった。いつも写真は瞬間だけを残すから哀しい。アリーナ、忘れないで。瓦礫に埋もれたあの金色のかけらは。神様が最後に託したこの世界に対する「愛」なんだよ。それを僕はばらばらにして持ち帰ろうとした。だから僕は今がれきに埋もれて死ぬんだ。僕が独り占めしようとしたあれは、この世界への最後の「愛」なんだよ。覆水本にかえらず、世界は終わる。なんてこともなく、灰色のまま世界は回っていく。僕だけが排除される。生きていた心臓、最後のひとつの心臓も助からない。僕が愚かだから。アリーナ、あれが「愛」だよ。見えるかい。きみはみたことがなかっただろう。あれが「愛」だよ。やっぱり金色をしているだろう。ルイ。どうかここに羽根を休めておくれ。死んだらしばらく小鳥になって、そして最後には星になるんだ。僕は罪を犯したから星の周りに塗りたくられた闇になる。嬉しいよ。ルイ。やっと傍に。ずっと傍に。ずっと、ぴったりとくっついていようね。ルイ。君が光だ。愛してる。すべて奪い取ろうとしてごめんね。どうか君が奪われたぶんとつりあうくらい、柔らかいベッドで、君の星が眠れますように。